“有的是”と“有的”は別物:思わぬ落とし穴にハマった話

体感は全くないが、暦の上ではとっくに春らしい。
というわけで、中国語教室で朱自清の《春》という散文を読んだ。
中国の中学一年生の国語の教科書に載っている。
生き生きとした春の美しい情景が目に浮かぶような、生命力溢れる文章である。

だが一ヶ所、どうしても分からない箇所があった。

  天上风筝渐渐多了,地上孩子也多了。城里乡下,家家户户,老老小小,他们也赶趟儿似的,一个个都出来了。舒活舒活筋骨,抖擞抖擞精神,各做各的一份是去。“一年之计在于春。”,刚起头儿,有的是工夫,有的是希望

この“有的是工夫,有的是希望”の意味がどうにも分からない。


“有的”は代詞ではなかった!?

“有的”といえば初級で習う表現で、「ある人、あるもの、ある~」という意味の代詞だ。

例えば、
  我们班有很多外国人,有的是美国人,有的是中国人。
のような。

このパターンに当てはめると、“有的是工夫,有的是希望”はこうなる。

「ある○○は時間であり、ある○○は希望である」



???

上記の例のように、“有的”に修飾される名詞は、“有的”より先に明示されている。
なので、◯◯には“一年”や“春”が入るのかとも思ったが、それぞれ当てはめてみてもしっくりこない。
どれだけ考えても分からないので諦めて先生に質問すると、なんとこの“有的”は私が知っている“有的”ではなかった。

“有的是”は「たくさんある」だった!

実は代詞の“有的”ではなく、「たくさんある、いくらでもある」という意味の動詞“有的是”だったのだ。
それも、単に量が多いだけでなく、ありあまるくらい たくさんあるという意味らしい。

つまり、“有的是工夫,有的是希望”=「時間も希望もいっぱいあふれている」である。

そんな動詞があるとは全く知らなかったが、辞書を引くとちゃんと載っていた。
ずっと“有的”だと思い込んでいたせいで、調べようなどとは思いもしなかったのだ。
やはり初心を忘れず、丁寧に辞書を引くことが大事だと痛感した。
今後は「知っているつもり」の言葉こそ慎重に調べて、同じ落とし穴にはまらないようにしたい。


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