魯迅『故郷』を中国の国語教科書で読む!課題にも挑戦!
私は現在中国語教室に通っており、中国の国語の教科書に載っている文学作品を読むというレッスンを受けている。 小学校6年生の教科書で、魯迅『故郷』の一部を抜粋した文章《少年闰土》を読んだ私は、そのまま中学3年生の教科書に載っている《故乡》を読むことになった。 日中ともに中3で『故郷』を習うようだ。 魯迅『故郷』の"紫色的圆脸(紫色の丸顔)"が指すものとは? 皆様はご記憶だろうか?中学校の国語の教科書に魯迅の小説『故郷』が載っていたことを。 この作品は主人公「私」の視点で物語が進行する。 そのせいもあってか、初めてこの作品を読んだ中学生時代の私は、主人公にのみ感情移入して物語を読み、主人公の憂鬱や孤独に心を寄せていた。 閏土が主人公を「旦那さま!……」と呼んだときは突き放された気がして、主人公が気の毒で仕方なかった。 しかし今改めて読むと、この主人公はかつての親友がわざわざ自分を訪ねてきてくれたというのに、彼のみすぼらしく変わり果てた姿にショックを受け呆然とするばかりである。 閏土や楊おばさんに「デクノボー」だの「コンパス」だのとレッテルを貼り、香炉と燭台を望んだ閏土を「偶像崇拝」だと笑うあたり、主人公はナチュラルに人を見下す、なかなか嫌なヤツにも思えてくる。 近代文学あるあるな、典型的な知識人像だなーと思う。 それはさておき、中国の国語の教科書には、本文の後ろに必ず課題が付いている。 この作品の課題に以下のようなものがあった。 曾经亲密无间的一对小伙伴,现在却变得那样“隔膜”,让“我”感到“我们之间已经隔了一层可悲的厚障壁了”。这“可悲的厚障壁”是什么?你认为是什么原因造成的?同学们之间讨论。 要するに「『悲しむべき厚い壁』とは何ですか?」「その壁はなぜ生じたと思いますか?」という、日本の国語の授業でもありそうな問いだ。 私はマンツーマンレッスンを受けていて討論するクラスメートがいないため、この課題に対して自分の考えを書いてくるように、と宿題が出た。 そこで私が書いたのが、以下の文章である。 我觉得“可悲的厚障壁”是社会引起的心里隔阂。 封建社会的崩溃让“我”和闰土之间的贫富差距越来越大,闰土只好辛苦地生活。但是,“我”自认为是知识分...